by rudolf_schuba (under CC)
趣味やらなにやらで色々翻訳をやってきました。主にPython方面ですね。今まではブログに書いていましたが、最近は翻訳記事用のブログに分けました。色々手を加えて、CMS風ナビゲートを追加したりしています。The History of Pythonの翻訳もやっております。今のところ全部の記事の翻訳をキャッチアップできています。最近やってないですが、InfoQ。そして、nomicoさんたちと一緒にやっているGTD Timesの翻訳。書籍だと、アジャイルソフトウェア開発スクラム と、実践eXtremeプログラミング です。もうかなり昔の話になってしまいましたが。最近Erlangに興味が出てきたので、Erlangの勉強ついでに翻訳でもしてみようかな、と思っています。
例え、翻訳本を書いて収入があるというケースじゃなくても、翻訳をやると、いろいろうれしいことがあるなぁ、というのを実感しているので、そのメモをまとめてみようと思います。後は、僕が翻訳するにあたっての心がけも。是非とも、みなさんも興味がでてきたら、やってみてください。
翻訳をやって自分の立ち位置を宣言しよう
僕が翻訳をやる意味は主に3つあります。
- 鮮度の高い一次情報に触れる
- 自分だけでなく、他の人の役にも立つ
- 自分の得意分野を表明できる
1番は言うまでもなく、英語発の情報が日本語になるのを待つのではなく、積極的に知りに行くということです。グーグルの動向や、アップルがどういう製品を出すとか、そういう話はすぐに日本語でも情報は手に入りますが、結構技術的なネタになってくると、なかなか日本語にならないことも多いんですよね。Pythonのライブラリとかも、英語ができるのとできないのではリーチが100倍ぐらい違ってきますしね。
2番目はやってみると分かることですが、反応があるとうれしいもんです。ちなみに、最近はRSSリーダーとかで読むような人が多いので、ブログのコメント欄に反応があることはありません。でも、はてなブックマークやdeliciousなどのソーシャルブックマーク、はてなスターなどのちっちゃいフィードバックが多いですよね。最近は、 @voluntas から「これ渋川翻訳で読みたい」と英語の面白い記事を紹介されることも増えてきました。以前のブログにも書きましたが、人の役に立つようにがんばろう、という気持ちはそれだけで気概を与えてくれるものです。原文の著者の人にメールを出しても、だいたいは喜んで返事をくれますしね。先日のEUnitの翻訳したいんですよ、というメールを書いたときには「日本語読めないけど、コレクションしたいから送ってね!」という返事がきました。
3番目に関して、IT技術者として、自分の必殺分野を持つことはキャリアを考えると大いにプラスです。ユニットテストといえば @t_wada さん、生きのいいライトニングトークスといえば@kakutani 、アジャイルからパターンまで思想的な冒険といえば @kkd みたいな。この前も@t_wadaさんにはテストの話とかを持ちかけてみましたが、やっぱり「この人ならしっかりと答えてくれる」「この話題は外さない」というのが明確になるので、他の人からの話しかけられやすさが違う気がします。もちろん、日本語情報を自分で発信して、ゼロからキャリアを作っていくのもできますが、自分の立ち位置を表現するには、翻訳というのはてっとり早い方法です。僕が仕事で何をやっているかとかに関わらず、上記の翻訳した記事のラインナップを見ればどういうことに興味を持っているかは明らかですよね?
英語力はそんなに必要ない
翻訳をやっていると言うと、「英語ができてすごいね」という風に言われますが、自分の専門の分野であればそれほど難しくありません。プログラミング関連の記事は、単語がそのままカタカナ語で日本語になっていたりするので、ボキャブラリがそのまま使えるので簡単です。僕が苦労するのはGTDですね。アジャイルなどのプロセスもマインドの話なども入ってくるので、苦労することはあります。これに比べたら、プログラミングの記事の翻訳は簡単です。リファレンス類はもっと簡単です。
英語は得意じゃなかったり、読むのに時間がかかっちゃう、という場合には、機械翻訳でおおざっぱに意味をつかんで、それを日本語として正しく直していく、というのもできます。英辞郎とかを使って詳細な部分の訳語を決めていきます。本当は調べた単語をきちんと記録して暗記すれば英語力も向上するとは思うのですが、そこまでマメにはやってません。辞書なしで翻訳するほど英語ができるわけじゃありません。
色々訳して分かったのは、日本人、外人に関わらず、理系って文章書くのが下手なんですよね。英語がロジカルでわかりやすいなんて嘘です。迷宮のような英語だって書こうと思えば書けます。接続詞がつながりまくって、代名詞を暗号のように使って・・・みたいな。あ、もちろん、英語が分かりやすい人もいますよ。でも、英語を書いている人もネイティブじゃない人も多いですし(Python作者のGuidoも)、わかりにくい英語があっても「これは文章が悪いんだ」と開き直るのもアリです。
意訳せよ。正確な訳なんてない
中学や高校では、訳をして、それが直されて、というのを繰り返して勉強してきました。でも、最近読んだ基礎情報学―生命から社会へを見ると「正確な訳語ってないよな」と思っています。いや、前から似たようなのことは思っていたんですが、それが明確になりました。オートポイエシス理論というやつで、コミュニケーションをするには、共通概念というものがあり、それを言葉というものに載せて伝える、というモデルは間違いで、受け手も送り手も、それぞれ意味空間を持っていて、受け取り手が反応をすることで、はじめて情報が発生する、というものです。ちょっとうまく伝えられないですが。
例えば、「スターバックス」という言葉が英語で書かれていたとします。書いた人は、「町中そこら中にあって、朝晩にみんなが気軽による場所で、CDから雑貨から飲み物、食べ物から色々売っている便利で、毎日寄るところ」という意図で使ったのかもしれません。あ、ワシントンDCなどの所得の高いところだけかもしれませんが。もし、著者がそういう意図を伝えるためにスターバックスを使ったのであれば、日本語に訳すなら「コンビニ」と訳す方が適切かも知れません。まぁ、ここまで極端な置き換えをすることはありませんけどね。通常は「訳注」みたいな感じで追加することが多いですが。家庭料理といっても、アメリカでは「電子レンジ料理」というジョークもありますしね(妹情報)。同じブランドでも場所が違えばイメージが変わります。メルセデスだって、高級車ばかり作っているわけじゃなくて、ヨーロッパに行けばトラックがたくさん走っていますしね。
名詞の場合はまだわかりやすいですが、動詞などになると、辞書通り訳すとすごくわかりにくくなる場合もいくつもあります。何が言いたいかと言うと、正確な翻訳ってそもそもムリということです。正しい翻訳はありません。もちろん、意味を間違って取って「間違った翻訳」になってしまうことはありますが。
重要なのは、日本語力
僕が翻訳するにあたって、気をつけていることとしては「日本語として読みやすくする」の1点に尽きます。機械翻訳をそのまま載せたようなサイトもいろいろな所で見受けられます。自分用のメモとしてはもちろん、それでもいいのですが、他の人が読むことを考えれば日本語としてきちんとしている文章にするのがいいに決まっています。
原文が英語だろうが、クリンゴン語だろうと、書いた翻訳の文章を読む人は、日本語としてその情報に接します。英語教育が日本語を破壊している、というのは翔泳社でお世話になった編集の方が言われていたことです。「Howeverをしかしながら、と訳すけど、そんな日本語は使わないよね」ということらしいです。受験勉強では、変な解釈を入れて減点されないように、ということで逐語訳みたいなことをさせられた記憶がありますが、それはもう試験勉強の中だけにして、どんどん日本語的に訳した方がいいです。
僕がやるのは、複文になっている文を前後入れ替え、複数の文をくっつけ、言葉の追加、文の分割などなど。重複するような内容があったら省略することもたまにします。日本語として、編集をしていく感じ。つまり翻訳という作業をしているというよりは、自分が編集者になって、編集をするみたいな感じですね。
学生ではなくなって、手に負えなくなって放置してしまっているのもありますが、時間のある限り、今後も翻訳していきたいと思っています。何よりもまず、自分のために。