PySpaアドベントカレンダー2018のエントリーです。昨日は@taichiでした。
昔になるほど、少人数でプロダクトを作り上げた、短期間でやりきった、という話を聞きます。
たとえば、10年ぐらい前の事例だと怪盗ロワイヤルの開発の話とかありましたよね。
ずっと前だと、車の設計を第一線で指揮しながら、会社の経営をしていた本田宗一郎がいましたよね。
最近はそういう話を聞きません。ソーシャルゲームも開発費は5億を超えるようになってきました。
車の設計も3桁億円ですよね。個人でハンドリングできる分量を超えています。
ちょっとした構成要素、自動車のブレーキ1つを取り出しても、今は自動車会社のブレーキ担当の社員が一生かけて取り組むような感じです。
タイヤもなんでもそう。どんどん狭く深くなり、1人が見れる世界がどんどん小さくなっていきます。
1の工数で全体を完成させていた時代は、会社の中ですべてのプロセスが回せていました。
それで商品が開発して商売ができていました。で、よりよいものを作ろうとして2の工数をかけてすべてをブラッシュアップした製品ができました。
それが5になり、10になり、20になり、100になり・・・競争が続く限り、いくらでも工数は増えていきます。
たまに技術的な発展の恩恵を受けて工数あたりの生産性があがったりしますが、その上がった工数はさらなる品質向上に使われていきます。
だって、他の会社も似たような恩恵は受けますからね。その会社だけの恩恵にはなりません。
そのうち、工数の増加に対して、人を増やす速度が間に合わなくなったり、コストが見合わなくなります。
そうなると、完成品を作っていた会社は、その部品を他の下請け会社に依頼します。下請け会社も同じ程度の工数増が必要となります。
ですが、下請けの会社は多くの会社から受注し、数が増えるので吸収しやすくなります。開発費は変動費なので、たくさんの会社に卸して生産量が増えるとコスト削減効果が大きく見込めます。
そんな感じで、どんどん、外に投げる割合が増えていきます。それが経済合理性のある行動だから、それを止めることはできません。どの領域を自分で持って、どの領域を投げるか、どの順番で下請けに出していくかという選択ぐらいは制御可能です。もちろん、その部位が競争力の厳選であるならば、安易に投げると競争力の低下に繋がります。ですが、コモディティ化してしまうと、自前で頑張ってコストをかけるのは投資効果を弱め他のところで差をつけられる要因となります。ちょっと前までは自動ブレーキはメーカーの技術力を競う場になっていましたが、今は予防安全性能アセスメントというものができました。早晩、この星取表に合わせてみんな課題を解決して、差がなくなってくるでしょう。
今この瞬間だけを見て、「外に丸投げはけしからん」というのは簡単ですが、競争力につながらないなら仕方がないですよね。
急速な電動化も、ソフトウェア技術者がどこも不足するという結果になっていると思います。新しく採用しようにも、規模が大きくて雇用に柔軟性がない事業会社にでは転換が難しいです。
領域のシフトは10年、20年単位で計画して、大規模な人員の移行計画(首切りではなく)とセットでやらなければならない。そもそも人がいないのに、いらなくなるからレイオフ、みたいな欧米スタイルを日本でやってしまったら人が減って今の本業もだめになるだけですしね。
受け入れ側の上流の会社もサボっているわけではなく、受け入れ責任をきちんと果たしています。なにかトラブルがあったときに、
すぐに下請けやベンダーの名前を出して責任を転嫁する会社も一部にはありますが、基本的には名前を出さずに、
責任を持って顧客に提供する会社が大多数だと思います。お客さんは安心してそのブランド名を見て購入ができます。
ソフトウェアの場合はOSSとかがあって少し事情が異なりつつも、事情はだいたい一緒です。
最初は少人数で開発できていたのが、多くの人数が必要になっています。
ちょっとしたライブラリとかも少数や個人で開発できていたのが、最近はGoogle、Microsoft、Facebook、Amazonなどの
大手が提供しているOSSは積極的に使うが、他はおまけ(補完)として使う程度、みたいになってきています。
個人開発のOSSはいつ開発が止まるからわからないから警戒する、みたいな話もあります。
クラウドの場合はさらに一歩進んでいて、R&Dはクラウドベンダーが行い、他の利用者はお金でR&Dを支援しつつ、新しいものを利用させてもらう、といった感じの分業が進みつつある、という気がしています。他社がOSS+サポートでビジネスにしょうとしているOSSを利用しやすくして売上を剽窃・・・みたいないま一部で話題になっている話はとりあえずおいておきます。
ITの世界だと、何かしらの画期的なソフトウェアが出てきて(ゲーム開発のUnityとか)、○○の民主化、
みたいなムーブメントが発生することがたまにあります。ハードでも、Rasberry Piとかありますね。その瞬間は、技術力で劣っていた会社はその新しいちからを借りて
ブーストし、市場に打って出ることができます。ですが、すぐにゼロスタートの血みどろのチキンレースがその瞬間から開始されます。
フランス革命は初の市民革命だったかもしれませんが、すぐに民主主義の社会になったわけではなく、ジャコバン派の恐怖政治が始まって、
テルミドールのクーデターがあって、ブルジョアジー政権になって、ナポレオンのクーデターが起きたりするわけで、ソフトウェアの世界も似ていますよね。
ゲームエンジンビジネスは、安価な値段で市場を席巻したUnityと、Fortoniteとか他に稼ぎ頭があるUnreal Engine 4の大規模案件以外は
無料という2大攻勢により、今はもう新しいプレイヤーが登場することはかなり難しい、という状況になっています。
工数と、システムの規模のアンバランスは、システムを作りきったあとにも問題として発生します。
昔書いたブログエントリーでは、ドメイン知識の分量がが現場のユーザーの理解できる量よりも大きくなってしまい、システムエンジニア側にドメイン知識が移動してしまう話を書きました。
少ない人数で手作りでイノベーションというのは、早急に工数の増加とともに、何らかのタイミングで損益分岐点を超え、企業の手を離れ、
競争の中でいつしかコモディティ化していく・・・多くの人が考えるイノベーションの形というのは、長いライフサイクルのほんの最初の一瞬だけなんだろうな、
というのを、前々職を辞めたブログエントリーを見て思いました。
自分がそのどこで技術の発展に関われるのか。常に0から1を生み出せる人は先頭にい続けられると思いますが、そうでない人は、早晩川下の方に流されていくんだろうな、と思っています。それでも、どこかしらのイノベーションのライフサイクルに、少しでも長く関わり続けられればいいなぁ、と思っています。
明日はbuchoです。抱腹絶倒かつお涙頂戴で感動の嵐間違いなしです。みんな超期待して待っていてください!
posted by @shibukawa at 23:31
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